報告が大変遅くなってしまいましたが、先日宮城への応援興行の日記を書いてみたいと思います。
自分の中で沢山感じた事もあるのですが、それぞれの整理に時間がかかったことと、どこまで載せていいものかという迷いとで普段にも増して遅筆となってしまいました。
まずどこから…というと、やっぱりきっかけからでしょうか。
一昨年、「日刊スゴい人!」(
http://sugoihito.or.jp/)という日本のスゴイ人に特集をしていただいたのですが、震災以来何度も東北へ支援物資を運んでいた一行にお誘い頂き行ってきました。
有志が集まっての活動でしたので、運転も交代しながら高速を通り宮城入りしたのですが福島あたりから高速道路もアスファルトやガードレールのあちこちが補修されている状態で、路面はツギハギ状態でした。
当初は跳ね上がる車に驚きましたが、東京を出て2時間ちょっとでこんな傷跡。宮城だとどれくらい被害があるのか想像出来ませんでした。
深夜から出発して翌朝に宮城入りしたのですが、まずは被災地の現状視察ということで、津波の被害が大きかった海岸線沿いを回りました。


海岸線沿いは主に田畑が中心だとは思いますが、家もビニールハウスも流されているところが多くて、見通しがよくなっていました。
道は綺麗に出ていますが、これもおそらくは自衛隊や地元の方達が瓦礫をどかして、砂を撤去してやっと通れる様になったのだと思います。



電信柱や、ガードレールがありえない力で折れ曲がってしまっています。大木が根元から倒されてしまったりしています。
道路も一見綺麗に見えますが、実際には陥没していたり、道が半分無くなってしまっている場所がほとんどでした。
津波が直撃した海岸線沿い。

テレビ報道なんかでは「基礎だけ残ったたてもの」と注訳がつけられていますが、自分の目で見たときにはこれは基礎だけ残ったのかこれから作るのか判断がつかないくらい綺麗に無くなっています。

家や建築物は壊されていますが、木がこれだけまとまった防風林は多少倒されていてもこれだけ残っているのは驚きです。
視察中に気づいたことですが、津波が直接あたった海岸線沿いは家はそのまま無くなっていたり、砂が覆っているのに対して、やや内陸に入った所は、瓦礫や木材が溢れ、家は1回部分が削られた様に無くなっていたりと、津波の性質を物語っていました。
海沿いの木が残っているのに対して、やや内陸の木や電信柱が倒されていたのは波自体の威力というよりも一緒に流れた瓦礫や木材が威力を強めていたのだなぁと感じます。
海岸線沿いから離れて、被害の少ない市街地へ入っていってもしばらくの間は1階部分の無くなった家々が続きます。


人影もなく、家々には「検査済み」や「立ち入り禁止」の紙札がはられています。もちろん電柱や電線は復旧なんてしていません。
海岸線沿いから離れると津波の傷跡が薄くなり、地震の直接の影響が大きく出ていました。

塀の下の方は水が通った跡がありますが、上の方は瓦が落ちてしまっています。
あまり写真は撮っていなかったのですが、今回の東日本大震災では津波の影響が大きく、死傷者のほとんどは津波の影響と言われていますが、それでも未曽有の地震が起き、その影響ももちろん出ていることを忘れがちになっているなぁと気付かされます。
市街地は一見、普通の町並みですが、よくみるとお店の7割近くが休業中や、店舗からのお知らせの札が貼られており、修理をしているところもあれば瓦礫などがそのままになっている店舗も沢山あります。
道もあちこちに補修の跡があり、高速道路と同じくツギハギだらけです。
さて、視察を終えて今回お邪魔させて頂く、地区の体育館へ到着したのですが、ここからは写真はほとんどNGだったので文字が中心となります。
日刊スゴい人!は広い伝手や人脈を使い、今までも何度も救援物資を運んできていたのですが、全国から救援物資が集まり、必要な物が揃い始めた今回は、文房具や、おもちゃ、漫画など子供たちが楽しめるものを中心に運んできました。
今回は他のパフォーマーさんと一緒に、避難所に居るみなさんに少しでも楽しんでもらう機会としてお時間を貰っていました。
避難所についてまずは荷物を下ろしてから中を見させてもらったのですが、テレビニュースでよく見ていた避難所の風景でしたが、自分の肌で実際に感じたものは全然違うものでした。
「そこに人が生活してる」
その実感と空気はテレビ越しには感じたことが有りませんでした。
映像的な配慮で、ダンボールで仕切られた中まで撮ることが無いからだと思いますが、普通に歩けば中まで丸見えで、そこには実際に生活している人たちが居ました。
もう周りから見られることは慣れているのだと思いますが、自分が透明人間になって、人の家のリビングを覗いている様な、妙な感覚です。
そこにいる人達は、避難してそこに居るのですが、そこでは(現状で)普通の生活をしている。
当初はパフォーマンスなどは体育館内でやるのかと思っていましたが、そこで感じたのは人の家にいきなり入っていっていきなりショーをするようなとてつもない違和感でした。
普段のイベントだと、告知されているところへ見たい人が集まって、見たい人が見続けるという状況ですが、ここでは見たい人も見たくない人も、寝たい人や、遊びたい人、話したい人、本当にすべての方がいる状況でした。
担当の方と相談して、急遽体育館の外でやることになった。
告知して頂いていたのもあって、思った以上に沢山の方が見に来てくださっていましたが、ほとんどがお年寄りと子供たちでした。
聞いてみると大人の男性は、朝から各地手分けしての瓦礫の撤去作業など、女性たちも避難所やそれぞれでやれることをやりに行ってるとのことでした。
今回、ショーをやるにあたってとても悩んでいたのが、どのような構成とメッセージを入れるかということ。
今回の興行の目的として、被災地のみなさんに楽しんでもらう、喜んでもらうというものはあるのですが、朝から被災地の視察や、避難所の様子を見させてもらって、とてもじゃないけど「頑張って」とか「大丈夫」とかいう言葉を言うことが出来なくなっていました。
そんな言葉で補えるほど浅い傷でも、浅い被害でもなく、避難所には未だに行方不明者のリストや、瓦礫から見つかった写真や賞状などが泥だらけで持ち主を待っている状況です。
だからといって仕込みの時に、心を込めた文章をつくろうにも、言おうにもなんにも浮かばず、浮かんでも脳裏に浮かぶ惨状に打ち消されてしまいそうで、言葉にすることは無理だなと思いました。
この状況で、自分に何ができるか、パフォーマーとして一人の人間として何が出来るか考えたら、結局のところ自分は何も出来ない、何も言えない無力な人間なんだなぁと実感するしかなかった。
何も出来ない自分の無力さで、心が重くなって、こんなんじゃショーを断った方がいいかな…。と思ったときに、なんで自分ははるばるここまで連れてきて貰ったんだろう?
と思い出した。
震災後、イベントも、ライセンス活動場所も、ストリートも全部封じられて何も出来ないと思い知らされた自分が、関西を中心にストリートしたり、決行されたイベントに参加した中で自分にはバルーンがあって、バルーンは見てる方を楽しませることが出来るって自信を貰ったからだったはずだ。
そんな思いから、被災地へ自分なりに何か出来ないかと、参加させてもらったこの機会にまたしても「何も出来ない」ループに陥って、自分にしかやれない事を見失いそうになっているなぁ〜って、また気付かされた。
結局、自分にはバルーンとパフォーマンスしか出来ない。
パフォーマンスで人を元気づけたい、喜ばせたい、楽しませたい、感動させたい、なんて普段からそんな押し売り的なショーをやっている訳じゃないし、出来るとも思っていない。
というかそういうタイプのショーはどっちかというと嫌いだ。
それは自覚していたつもりなのに、「被災地に来た」ということで、普段より余計に「いい言葉をかけよう」とか、「楽しませるにはどう言えばいいか」とか、ゴチャゴチャ考えて勝手に悩んでいた。
うん。
結局自分は、自分の出来ることしか出来ないし、思いがあってもそれをショーで伝える術をまだ持っていない。
なら言葉とか、妙なメッセージとかゴチャゴチャ考えずに、今やれることを全力でやるしか無いんじゃないの?という至って簡単な思考に整理されてやっと動き出せた。
今の自分のショーは、見ている人を非日常の空間へ連れて行く様な構成を組んでみてる。
少しの時間でも現実を忘れて、ショーの世界へ入って、楽しんでもらう。そんな構成とパフォーマンスにしてるつもりだ。
いろんな現実が積み重なる避難所では、応援の言葉も、気の利いた口上も、慰めの言葉も必要なくて、ただ僕達パフォーマーは、特に僕は普段からやってることをやることが、結果的には一番その時を楽しんでもらえるのかな。と思った。
ショーは一瞬で終わった感じがした。
けど、なぜか普段よりも見ている方の顔が一人一人はっきりと見えた。
で、やってる時は自分自身も宮城とか、避難所ってことをすっかり忘れていた^^;
終わった後には、見ていた方や市の方といろんなことを話をしたり、子供たちと短時間だけでも遊んだりしたけど、結局僕らは被災地慰問のパフォーマーと避難民という関係じゃなくて、普通のイベントと同じように、パフォーマーとそれを見てくださったお客さん。
そんな当たり前の事に気づくまでどれだけ肩を張って、悩んで、悶えたことか…。段階としては必要だったけど、終わった後からするとなんて無駄なチカラを使っていたんだろうと思った。
「楽しかった!」とか「久しぶりに笑った」って言ってもらうとやっぱり嬉しい。
でも逆に言うと、普段なら楽しいこと、笑うことたくさんあるのに、それが久しぶりだったり強く感じるっていうことはやっぱり普段とは違う状況にあるんだなぁって思い知らされる。
そして、支援物資がたくさん届いている現状でも、やっぱりそれが足りていないんだなぁと思い知らされる。
今回東北に行くまで、瓦礫の撤去すら出来ていないこの状況では、正直なところパフォーマンスとかはまだ早いと思っていた。
でも悩みながらも今回行かせてもらって、むしろ僕達パフォーマーが一番必要とされている時期は今なんじゃないかと強く感じた。
今、関東の芸人を中心に「被災地応援パフォーマンス団」(
http://playforjapan.info/)といううグループが立ち上がり、先日もミーティングをしてきたところだけど、本当に今、自分たちに何ができるかみんな真剣に悩んで考えている。
実際に東北へ行ったのはまだ数人だけだったけど、こんな自分の思いや経験を少しでも伝えて、できるだけ多くの場所に、多くの人にパフォーマンスを届けられればいいなぁって思うし、その手伝いを出来る限りしていきたい。
震災から今までを含めて、今回の宮城行きは自分とパフォーマンスの関係や、自分自身を見直すいい機会になったなぁと思う。
でも、テーマも沢山見つかったし、まだまだ、もっともっと深く考えていかないとだなぁ…。
長々と書いてしまったので、誤字脱字、まとめ切らず、尻すぼみ色々あり、申し訳ないです。
また、突然の宣伝ですが
被災地応援パフォーマンス団は、パフォーマーだけじゃなく、情報を集めたり、資金を集めたり、現地と連絡調整したりと出来る限りたくさんの方の協力がある方が大きな動きをすることが出来ます。
もし少しでも興味を持ってもらえたら是非とも賛同して、サポートしていただけるとありがたいのでよろしくお願い致します。